【ニチコミ コラム】ある会長さんの話
2018 年 2 月 19 日 月曜日 投稿者:ニチコミこんにちワッキーです(^_^)
ニチコミ社員たちがつなぐ心のリレー「わたしたちが綴る思い」に久々に投稿します。
今日は私が出会った老人クラブ会長の話をします。
大阪府のある田舎町の老人クラブ会長のKさんのお話です。
少し長文ですが、どうかお付き合いください。
入社して間もなかった私は、冬が近づいたある日、その町で定期的に開催されている会員によるウォーキングを取材することになりました。その町はまだ会報紙を作り始めたばかりで、私もまた仕事を覚えることに必死になっていた時期でした。
本来そういったところに取材に行くと、写真を撮る際に風景の変化を撮影しなければなりません。被写体である会員には表情以外の変化はなく、変わるのはただ風景だけなので、記事の素材を適度に用意するためには、景色の変化を待たなければならないわけです。まだ写真撮影がうまくできなかった私は現場に着くと、変わる景色をうまく撮るために、何kmもの距離を歩くつもりで会員のみなさんに同行して歩きました。幸いなことに自然が多い町なので、まだ葉を落とさずに残っている紅葉など、写真はいいものが撮れそうでした。
ウォーキングというイベントの中で一緒に外を歩いていると不思議なもので、横にいる人が気軽に声をかけ合い、さっきまではどこの誰だか知らなかった人が、まるで友達のように親しくなります。私がKさんとお会いするのはその時が2回目ぐらいでしたが、Kさんは私のことをよく覚えていてくれていました。歩きながらKさんもまた、親しく話しかけてくれ、「最近の老人クラブは」という話をしました。
しかしその時、正直私は話どころではなく、景色の変化を見ることにばかり気をとられていました。せっかくの自然だ、これで表紙を飾ったらいい。でもなかなかうまく撮れないな。そんなわけで写真を撮るためにウォーキングの列から離れたり、また走って先回りしたりしなければならないのに、Kさんは私が同じウォーキング仲間であるかのように話かけてきます。新入社員は頭の中が忙しいのです。分かってくださいK会長。
そんなことを繰り返しているうちに私は結局歩き疲れ、カメラを脇に抱えながら歩くことになりましたが、健脚なKさんはやっぱり「こないだこんな話があってね」ととても嬉しそうに話しかけてきます。
「私はね、自分が会長を務めているクラブ今年の予算を、年度の初めにほとんど使ってしまったんだよ」
何かと思ったら金の話ですか。しかしそこは私も関西人。儲かりまっかぼちぼちでんな。「なんでそんなことになったんですか?」
「私が会長になるまでね」とKさんは話してくれました。
Kさんが会長になる前、その時のクラブの会長はかなり高齢の人で、クラブで何か人の集まることをやろうにも難しく、そのために会合を開くことさえもままならない状況でした。そのうち体調不良で会長が退任し、このままではいけないと思った役員の人々はKさんを会長に推薦しました。それで今年度から、Kさんは会長を務めているとのことでした。
Kさんはまだまだ元気で、クラブの中では若手です。Kさんは早速クラブの会員たちに、今後を考えるための会合を呼びかけました。この会合を開くことによって、クラブで行うことができなかったいろんなサークルやイベントができるようになるだろう。Kさんはそう思いましたが、予想に反して、その会合でさえも人が集まりませんでした。
クラブを少しでも盛り上げようと会長に推薦されたはずが、なってみた後に雰囲気を見てみるとそうでもない。少々拍子抜けしたKさんは、それでも会員を集める方法はないものかと頭を悩ませました。というのも、Kさんが住んでいた町は住宅街でしたが、老夫婦や一人暮らしの高齢者が多く何かと心配の種があり、元々民生委員を務めていたKさんは町内の現状をよく知っていて、高齢者が外に出ることの大切さをよく理解していたからです。病気や認知症が進むとき、人と人とのつながりのないところからそういったものが進んでいくこともよく理解していました。世間では、しばらく姿を見ないうちに孤独死していた・・・といったこともよくあります。地域のつながりがそこにあれば、早く気付くことで救われる命さえあるかもしれない。
そう考えるKさんにとって、呼びかけても外にでない会員たちが身近にいることは切実な悩みです。Kさんは会員一人ひとりを自ら訪ね、集会所での会合への出席をお願いに回りました。「人付き合いがうっとうしいとか、そういう感じではありません」とKさんは言います。「なぜか、何かを言いたいようで言わないような、そんな感じでした」。どの会員からも、あまりいい返事は得られませんでした。集会所のすぐ隣の家の人でも、いい返事はしなかったといいます。
そんなことが続いたある日、一軒一軒家を訪ねて回るKさんを見て、長くその町で暮らしている女性会員がKさんに、みんなが会合に出席したがらない理由を教えてくれました。「なんだそんなことかと思ったよ」とKさんは言います。その理由というのは、『集会所にイスがないから』でした。
しかしこの『イスがない』というのは高齢者にとっては非常に大きなことでした。健康でピンピンしている人、ましてやKさんのように健脚な人はなかなか気づかないことですが、イスがないということは、すなわち『足を曲げて座らなければならない』ことになり、膝が悪い高齢者にとっては、『強い痛みをともなう場所』になるのです。あぐらをかいて座ればいい、と思われるかもしれませんが、Kさんのクラブは女性会員が多いクラブでした。
その話を聞いて集会所に行き、部屋を見渡したKさんは思案しました。畳が敷いてある大きなテーブルに、押し入れの中に積んである座布団の束。いつもこれを敷いて十数人ぐらいテーブルを囲んで座れる「はず」です。しかし今は、これが誰も集まらない理由そのものになっています。どうするか。そもそもイスを置いたらテーブルより高くなってしまうじゃないか。いや、でも年寄り向けのイスがあったな。
でもこれを揃えるとなると、これじゃクラブの年間予算、全部使っちゃうな。どうしよう。
しかし思えば、この手元にある予算は、『クラブの会員が活動し、健やかに過ごす』ための予算です。Kさんは一大決心をしました。もちろん無断で予算を使うことはできないので、「このイスを買うと年間の予算はなくなってしまうが、このイスを買うとみんなが集まる。みんなが集まっておしゃべりするだけでもいいので、年寄りたちが安心して集まる場を作りたい。だからイスを買わせてほしい」と、会員一人ひとりを説得して回りました。
中には反対もあったとのことですが、多くの会員の同意を得て、町の集会所には、会員の膝が痛くならないイスが揃えられました。改めて案内した会合のお知らせには、『イスあります』の一言を添えました。すると、会合には参加者が現れ、また会合を開くたびに参加者がだんだんと増え、昼間誰も来なかった集会所は賑わうようになり、おしゃべりの場がそこにできました。お茶はKさんが自腹で用意。それでも「みんなが外に出るようになってよかった」とKさんは胸をなでおろしました。
その噂はまたたく間に町内に広がり、集会所来る人はどんどん増えていき、イスが足りなくなっても家から持ってくる人さえ現れました。今まで家で一人、何もせず毎日を過ごしてきた人も、「集会所に行ったら楽しいよ」と隣の人に誘われるようになり、いつの間にかお茶はお茶菓子付きで誰かが勝手に用意するようになりました。そして、会員のためにイスを買ってくれたK会長がクラブのために自腹を切っていることを知った誰かが、匿名で寄付金を送ってくるようにさえなりました。さらには、年寄りを思いやるクラブがあるという話を聞いて「会員になりたい」という人も現れ、会員が減りつつあったクラブの会員数が増えていきました。
カメラを脇に抱えて歩きながらその話を聞いていた私は思わず聞き入ってしまい、最後まで歩ききってしまいました。「おかげさまで今、こうやってウォーキングする人が増えました」と言うKさんに、完歩賞の飴をもらいました。被写体に表情以外の変化がないとケチをつけていた私は、ただいい写真と思われるものだけを撮ろうとしていた自分を恥じました。Kさんの前ではその飴玉でさえ重たく、高齢者の孤独に光を当てたその行いに、ただただ恐縮するばかりでした。Kさんは入社して間もない私に、『人を思いやることは、愛をもってよく理解し、その人のためになることに労を惜しまず、一所懸命になること』だと教えてくれ、老人クラブという組織がどうあるべきかを教えてくれました。
後から知った話ですが、Kさんは町の老人クラブ連合会の会長を務め、会員増強に大きな功績があったとして全国老人クラブ連合会から表彰を受け、その話が広がって日経新聞にも掲載されました。Kさんは町の老人クラブ連合会の記念誌の中で祝辞を寄せてこう言っています。
「楽しみながら参加する機会を広げ、孤独にさせず、お互いに支え合い、元気に生き抜きましょう」
今、Kさんはどうされているでしょうか。
しかし私はこれからも、Kさんのことを忘れず、会員のみなさんの写真を撮っていこうと思います。
ワッキーでした(^O^)