【ニチコミコラム】母の言葉

2024 年 2 月 19 日 月曜日 投稿者:ニチコミ
こんにちは。Shigeruです。
 
昨年末に、老人ホームに入所している86歳の私の母が施設内で転んで頭を打ちました。
身体が傾いていたのと失語つまり言葉を話せなくなる症状がありました。
病院でCTを撮り、脳内出血がありましたが、幸い日を追って出血は治まっていきました。
年明け位から言葉も喋るようになりました。
 
しかし、私の名前は以前は呼んでくれていたけど、今は少し思い出せない様子。
息子ということは分かっていると思いますが、少しずつ認知機能が低下しているようではあります。
 
母は認知症を患っているのですが、私がいつ面会に行っても、「よく来てくれたね。ありがとう」と大きなハキハキした声で言ってくれます。
私が仕事で出張へ行く時は、「○○に行くんだね」と繰り返し確認するように言ってくれます。
 
また、母は若いころから合唱をやっていたので、私が「この歌歌ってみようか」と本をみて歌いだすと、すらすらと歌詞にもよどみなく歌っています。
 
私は最近母の面会に行くときは、家にある沢山の写真の中から母がいろいろな人と写っている写真を、その都度選んで持っていき、それを見せながら母との会話をしています。
 
もともと母は、社交的というか、誰とでも友達になれる人で、人に対して面倒見もよく、50歳位から大学の通信教育を受けたときも、スクーリングで出来た若い友達との交流では慕われているようであり、長く交流が続いていたりしました。
 
そのほか合唱団の友達とか様々な交流があったと思いますが、その多くの写真を見せても、名前は思い出せないようです。
でも、写真を見て、満足はしてくれているようなのは感じます。
私は実家に住んでいるので、最近も、「お母さんに会いたいので面会に行ってもいいか」という母の友人の連絡がありました。
 
幸いなことに母は、老人ホームのスタッフさん達の献身的な介護のおかげで、体調面では大きな問題はなくこれています。
 
母と接していて思うことは、認知症になっても母は母、と感じます。人に尽くす生き方をしてきた母。人を気遣う思いやり。人生の色々なことを乗り越えてきた芯の強さ。それらは失われていないのを感じます。
 
私も還暦。
まだ早いですが、人生の終盤をどういう自分で迎えるか。何を人に与えられるか。
どう人に尽くし、利己主義でない生き方をするか、を考えます。
 
この文章を書いていて、母が、私が小学生か中学生の時に言った言葉を思い出しました。
「人を思いやるということは、あんたの一生の課題だね」
たまにこの言葉を思い出した時、胸を深く衝かれる思いがします。
まだまだできていない親孝行。それをこれからずっと行っていくために、成長しなくては、今を頑張らなくては、と思いました。

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