‘未分類’ カテゴリーのアーカイブ

【ニチコミコラム】一歩ずつ…

2020 年 7 月 27 日 月曜日 投稿者:ニチコミ

本社営業課 島内北郎
 私は今営業課に所属しております。50歳を超えておりますが、いわゆる営業課一年生です。ニチコミでは、この時期に新しい仲間が入社しております。経験のないことに不安を感じながらも希望を持って日々頑張っているのは、ある意味みなさんと一緒です。
 当然上手くいかないことばかりですが、なんでコツコツとやればなんとかなるもんです。私はそう考えております。入社間もない人は、不安もあると思いますが、仕事を通して学ぶことをもっと楽しんでほしい。考え方一つで、気持ちも変わります。これは自分をハッピーにすることでもあります。
 私は、まず相手の言うこと(これはお客さんや上司・先輩、同僚)にしっかり耳を傾けること。そして素直に聞くことかなと最近よく感じています。相手を認め、謙虚な心で聞くこと。いわゆる耳で聞くより心で聞くということです。これは、与えていただくハッピーです。

 そして、「達成した」「出来た」喜びを素直に感じてください。また先輩・上司は褒めてやってください。一つひとつ壁を越えることで自信が出てきます。これは出来るハッピーです。
 
次は与える側になりましょう。少しずつでいいんです。これもお客さんや上司・先輩、同僚にです。相手の気持ちになって力を貸してあげてください。共に苦労し、一緒になって悩み、苦しみ、そして喜び合う。それが仲間です。そうすれば、きっと応えてくれます。ほったらかしはいけません。与えるハッピー。これが一番のハッピーです。

「与えられる」から「出来る」そして「与える」側になれる人に……
  一歩ずつ……

【ニチコミコラム】地域の繋がり

2020 年 4 月 6 日 月曜日 投稿者:ニチコミ

はじめまして!あまちゃんです!
入社してから半年が経ちましたが、やっぱり仕事って難しいです。。私を育ててくれた父や母、祖父母を日に日に尊敬しているんですが、やっぱりどういう思いを持って入社に至ったかを忘れてはいけないなと最近すごく思っています。
私がニチコミに入社しようと思ったきっかけというのはいろいろあるのですが、その1つに経営理念の「世界中の地域コミュニティに貢献」という部分に強い思いがあったからです。
私は大阪で22歳まで生活してましたが、祖父母は東京に住んでました。
私は祖父母が大好きで、誰にも連絡せず、1人で東京に遊びに行っては祖父母を驚かせたりしていたんですが、私が遊びに行き夜行バスで帰るその夜に祖父は心臓発作で他界しました。誰よりも元気だった祖父が何の前触れもなく亡くなり、私もですが、祖母は心の支えを失ったかのようにその日から歩けなくなり日に日に衰弱して行きました。私はその時に「命」というものを強く感じ、祖母を支えたいと思い、東京に出てきました。
その後1年半祖母は一生懸命に生きてくれました。最後は動くことも出来なくなり、栄養も点滴からとなり、私の事も分からなくなってしまったんですが、それでも生きてくれさえばいいと感じていました。祖母が亡くなってから最後に祖母に会いに来てくれた方は2人だけでした。
お隣の方と、祖母とずっと親交のあった方の2人だけでした。祖母とずっと親交のあった方は娘さんの助けを借りながら来ていただき、祖母の顔を見て涙を流してくださりました。
私はなぜかその時に会いに来てくれた方は2人だけかと、もっと多くの人に祖母の最後に会いに来て欲しかったと思いました。年々地域の繋がり、人の繋がりは希薄化しているとニュースなどで見ていたので、そう感じたのかもしれません。
私はニチコミの「世界中の地域コミュニティに貢献」とはシンプルに人と人との繋がりを深めることだと思います。老人クラブを通して、地域のつながりもっともっと深まればもっともっといい世の中になるんではないか、日本はもっと暖かい国になるんではないか思い、そんな世の中を実現させたいと思って入社しました。
まだまだろくに仕事も出来ませんが、気持ちだけは持ち続けて今日も仕事頑張ります!!

【ニチコミコラム】活躍の場

2020 年 3 月 30 日 月曜日 投稿者:ニチコミ

はじめまして、やまなか家です!

はじめてこういうコラムを書くので、どう書けばいいのかイマイチ分かってませ
んが、今のニュースについて書きますね。

東京オリンピックが延期になったというニュースを見ました。
それも1年間も!
ちょっと気になって調べてみましたが、中止は5回もあったが延期は今回が初め
てだそうです。

ぼくはバドミントンが好きで、今でも地域で社会人の方々や中高生、60、70歳以
上の大先輩と一緒にのんびりとバドミントンをやっています。

そのこともあってオリンピックで行われるバドミントンはすごく楽しみにしてい
ました。なんて言ったって今は日本のバドミントンはノリに乗っていて、選手の
事故もありましたがそれでもやはり強い!是非見たいと気持ちが高ぶっていまし
た。
もちろんチケットは外れていましたが…

そんな4年に1度の大舞台!それも東京で!バドミントンをやる!と、気分も上が
っていてすごく楽しみにしていましたが、先程も書いていましたが延期になりま
した。
ぼくからしたら、すごく楽しみだったが、ただ楽しみだったものが1つ来年に持
ち越された、その程度にしか思っていませんでした。

ですが違う視点に立ってみたらどうでしょう。最近すごくできるようになりたい
と思っている他者目線ですが、選手側に立ってみてこう思っている人もいるんだ
と痛感させられました。

ニュースで話されていたことそのままですが、
「選手はこの4年に1度のオリンピックに焦点を当てて練習してきている。この大
舞台を最後に引退を考えている者もいる。選手の事を考えたら延期はありえない。
」と。
さらっと流れたこの言葉がぼくにはすごく残りました。
オリンピックに情熱を注いだ選手や関係している人々が活躍する場所、チャンス
を失っているんだと認識しました。
その時の状況で延期になるのは致し方ないのはわかっていますが、わかっていま
すが、このことを聞いて胸が苦しくなりました。

自分の力で活躍したくてもその場所がないから出来ない、機会を失ってしまった。
そんな人が無くなればいいのにと、そんな人々を助けていきたいと強く思いまし
た。

そして、うちの会社には【チャンスや機会が無い人々に活躍の場と機会を提供す
る】と経営理念があります。
オリンピックという1つの事で考えてきましたが、この経営理念を実現する為に
まだまだ力不足のぼくですが、日々色んな視点で考えてまいります。
これからよろしくお願いします!

【ニチコミコラム】「支え合うこと」

2020 年 3 月 23 日 月曜日 投稿者:ニチコミ

皆さま、はじめまして!新入社員のバードです!まだまだ至らない点が多いです
が、幸いにも温かい先輩方ばかりの恵まれた環境で日々精進し、徐々に羽を生や
していこうと思う今日この頃のバードです。
早速ですが今回は、私の祖父母について書かせていただきます。
私は小学生のころによく祖父母の家に家族で遊びにいっておりました。祖父は口
数が少なく温厚で優しく、祖母は反対に本当によく喋るとても愉快な人で楽しか
った思い出があります。しかし持病があった祖父ですが、私が高校生の頃にそれ
により他界しました。昔から本当に良くしてもらっていたこともありなんとも言
えない、心に穴が開いたような感覚に陥ったのを今でも覚えております。しかし
悲劇は続きその数年後、祖父の後を追うようにして祖母は自ら命を絶ち他界しま
した。当時の私はひたすらに甲子園に出たいという想いで野球のことしか考えて
おらず、祖母のために何もできませんでした。
と、いきなり重たい話からスタートしたこのコラムですが、残念ながらこの事実
はここだけの話ではない実態があり誰にでも何処にでも起こり得ることです。自
分への戒めのためにも敢えてここに書かせていただきました。
ここで考えることは、祖母が元気に長生きするためにはなにが必要だったかとい
うことです。この問いに対して私はいの一番に「コミュニティ」が必要だと思い
ました。例え家族が側にいなくても近所付き合いや趣味の友達などの繋がりがあ
れば、毎日が楽しく充実しイキイキと日々を送ることができ、今回のようなこと
は未然に防ぐことができたのではないでしょうか。だとすれば、その地域コミュ
ニティがもたらす価値や効果は計り知れないものがあると断言できると私は思い
ます。

経営理念の基本概念に「大切な人がいつまでも元気で参画できる社会に」という
一節がありますが、過去の悲しい出来事を教訓として社会人となった今、自分に
何ができるのかを考えてこれからの人生を歩んでいこうと心に決めたのでした!!

【ニチコミコラム】本当の「他力本願」の意味

2020 年 3 月 16 日 月曜日 投稿者:ニチコミ

どうもお久しぶりです庭師です

今回は楽しい話をしようと思っていたかったのですが、
この前祖父の7回忌でお坊さんが話していた話が身に染みましたのでそのことを話します。

その話というのが「他力本願」の話です。
一般的には「他人の力をあてにすること」という意味で使うと思います。
その意味には自分で努力をしない、人任せ、甘ったれというマイナスの意味が込められていると思います。

しかし本来の意味は違うようで、

本来「他力本願」は、浄土教・阿弥陀信仰で使われる仏教用語になるそうです。

「他力本願」の本来の意味は「阿弥陀仏の本願力・弥陀の本願の力に頼って成仏すること」で、

自身が修行を行い、その功徳で悟りを得るわけではなく、阿弥陀の本願によって救済されることを表します。

「他力」=”阿弥陀如来の力を借りること”、「本願」=”人々が仏になろうとする願い”です。
”本願”は仏が修行している時に立てた誓いのことで、阿弥陀如来の本願によって極楽往生を得ることを表します。

仏様をあてにするということではなく、「他力本願」は「己の修行で悟りを開くのは難しいため、阿弥陀仏の本願力に任せて成仏するという願いが込められたもの」となります。

本来の「他力本願」には、「他人の力を借りる・人任せにする」という意味は含まれません。

つまり人というのは誰かに頼らず全てのことを自分1人では完結できないという事です。
今私達が普段着ている服や、食べ物は誰かが作ったり加工したりしている訳で、力を借りることは恥では無い。
しかし、何もしないでお願いすることは違います。因果応報という言葉があるように善いのも悪いのも、自分が受ける結果のすべては、自分が作るものです。人は一人では生きられない、誰かに頼って生きている。ただ、頼っているだけだと結果は決まってきます。だからこそ自分たちも誰かのために生きていきましょうという話でした。

私達ニチコミもスポンサー様から頼っているだけではなく、頂いた掲載料でその地域の老人会、その地域そのものに返していくことを続けていかなければいけませんね。
自分もですが世界でも誰かのためにという頭で動けばどんな困難にも立ち向かう事ができるはずです。
暗いニュースが続き不安になると思いますが頑張って乗り切っていきましょう!

【ニチコミコラム】大先輩に教えを受けたい

2020 年 3 月 2 日 月曜日 投稿者:ニチコミ

こんにちは、ビュー坊です。

 

経営理念にある「誰もがいつまでも活躍できる社会」とは、良い社会、強い社会であると思います。

 

わたしは仕事で度々、老人ホームに訪問します。そこには、おじいちゃんおばあちゃんがいて、お食事中であったり体操をしていたりします。

入居者同士で仲良くなって交流も出来るでしょう。

 

ただ、私はその光景を見て「なんだかモッタイナイなあ」と思います。

というのも沢山のご高齢の方々、そのお一人お一人が沢山の経験をされてきたはずです。

いままで培ってきた人生の教訓とか哲学、いまの社会に対する思いとかがきっとあるでしょう。

その人生の大先輩に教えを請えば、日本社会の抱える問題とかたとえば若い人が特に抱える問題とかに、大いに参考になるのではないかと感じるのです。

でも施設にずっといるのであれば、そういう機会は少ないでしょう。私はいつも「あの人やこの人はどんな半生を送ってきたのか聴きたいなあ」とウズウズしながら施設を出ます。

 

私たち株式会社ニチコミが目指すのは「誰もがいつまでも活躍できる社会」です。

たとえばいま社会での活躍と離れてしまっている方も、誰もが何か活躍出来る、活躍するべき要素が必ずあります。

その方達が実際に活躍をすることが出来れば、もっともっと良い社会、強い社会になっていきます。

そういう風潮や仕組みのある社会をつくっていけるように私も毎日の仕事に取り組んで参ろうと思います。

【ニチコミコラム】父の最期に思うこと

2020 年 2 月 17 日 月曜日 投稿者:ニチコミ

こんにちは。Shigeruです。

私事ですが、先月父が他界しました。85歳でした。

父は進行性核上性麻痺というゆるやかな進行性の病を患っており、5年前からまず歩くことができなくなり、次にしゃべること、そして食べる飲むことができなくなり、数か月前から栄養は点滴で入れていました。

老人ホームでの父は意識はあり、私が話しかけると眼はこちらをみており、話はできませんがいつも眼で会話をしてくれました。

最後私はほぼ丸1日、ベッド横で付き添うことができ、父を看取りました。

安らかに、眠るように旅立たれたその丸1日、私はいろいろと、感じたことがありましたが、それを言葉にすることは一言では難しいです。

けれども、父は最後まで戦い、人生を立派に全うした姿を私に見せてくれ、私もそれに接するにつれ、また父の人生を振り返るにつれ、長男である私の中に、たしかに、今までなかった新しいもの・新しい意識が芽生えてきました。

自分に対して、家族に対して、そして仕事に対して、人に対して、全てに実直一筋だった父。

責任感は人一倍。そして愚痴をこぼすのを見たことがない大きな父。

父は亡くなること、旅立つことで私たち家族に、「こう生きなさい。頑張れ」という楔を打ってくれたように感じました。

私たち家族には、もう一人、私が20歳の時に18歳で病で亡くなった妹がいました。

この妹もその闘病の姿と人間性で、私たち家族と他の多くの人を感化してくれました。

この時も、私も家族も、楔を打ってくれた、と思ったものです。

妹を思い出したら、「そうだな。よし、がんばろう」という気持ちになれました。

私は、毎日の日常の自分との戦いに、時に負けそうになる時もありますが、そういう時に、こういった家族、そして他の先輩方・先人の姿・楔を思い出してみたい。

私たち家族は、これからさらに、父に教えてもらったように、一日一日を大切に悔いなく生きっていきたい。私もそのために頑張りたい、そう思います。

【ニチコミコラム】さようなら「札沼線」

2020 年 2 月 10 日 月曜日 投稿者:ニチコミ

 こんにちは、オールドパワーです。

 JR北海道は2018年12月21日、札沼線の途中駅である北海道医療大学駅から終点の新十津川駅までの間、47.6kmを2020年5月7日付で廃止すると発表しました。

 札沼線と呼ばれるのは、札幌駅と留萌本線の石狩沼田を結んでいたところから「札沼」と呼ばれており、現在は終点の新十津川駅まで行く列車は1日1往復で運行されているので、「始発が終列車」と呼ばれています。このような鉄道路線が実在している。「日本一の閑散路線」こと、JR北海道の浦臼〜新十津川駅間がそれです。

 しかし、同じ札沼線でも札幌市内とその近郊を走る南側の区間では、日中毎時3本程度の運転本数があり、多くの人の通勤・通学に利用されています。

 札沼線は南北で性格が大きく異なっている路線であり、「学園都市線」という愛称が付いている路線でもあります。北海道医療大学までは電化されていますが、その先は非電化で、ディーゼルカーが走ります。

 このようにどのような地域でも活躍し続ける列車を見ますと、私たちも負けずに頑張らなくてはいけないとそう思いますし、また地域貢献につながる大切な活動であるという気持ちが深く沸き上がってきます。

 なお、北海道の新十津川町は1889年(明治22年)の水害で多くの被害を受けた奈良県十津川駅村の住民が集団移住して開拓した町で、両自治体の仲は深く、今でも新十津川町は十津川村のことを「母村」と呼び、町章・村章も同じで、交流を続けています。

 2020年5月10日までに北海道を訪れる機会があれば、ぜひぜひ札沼線の乗車体験をお勧めします。

 そして私たちの企業理念でもある「誰もがいつまでも活躍できる社会」ということを別の視点から見て、考えを深めてみるのもいいかもしれません。

【ニチコミコラム】繋がり

2020 年 2 月 3 日 月曜日 投稿者:ニチコミ

こんにちはmasaです。

今回はmasaの母について書きたいと思います。

母は今年で67歳、今は東京で一人暮らしをしています。
定年前は病院でホームヘルパーの仕事をしてましたが、
定年後の今も派遣として同じ仕事をしています。

家族はmasaと母の二人きりで
そんな母が少し心配で気がかりだったのですが、

今から2年前くらいのことですが、嬉しい出来事が、、、

それは、突然母の姉から連絡があったんです。

母には故郷の北海道に兄妹と育ての親がいるようでしたが、
連絡がなく、話題にも上がらなかったのでいないものだと
思っていました。

実際、母が小さい頃家庭の事情で離れ離れになり、
別々の親に育てられたそうです。

母は一度に家族がたくさん増えたようで
時々会うと、
「札幌に姉に会いに行ってきたよ!」
「宇都宮で姪っ子と一緒に餃子を食べてきたよ!」
と一つ一つ報告してくれます。
そんな話題も増え、話をする母はなんだか嬉しそうです。

人間関係煩わしさもあるようですが、
育児や仕事に専念していた時は見せなかった表情を
見せてくれています。

心配だった老後ですが、それも少なくなりました。
繋がりがあるだけで人生が豊かになるんですね!

母にはこのままいつまでも元気でいてもらいたい
ものです。

【ニチコミコラム】貴方に見せたい

2020 年 1 月 20 日 月曜日 投稿者:ニチコミ

初めまして!新入社員のshibamaruです。

 先輩方に温かく見守っていただきながら日々励んでおります。ニチコミに入社して3か月が経ち、老人クラブの皆さまともお会いする機会が増え、いきいきと活躍されている姿は非常に眩しく感じます。

昨年11月に「シニア健康フェスタ東京」というイベントの取材に行ってきました。老人クラブ会員の皆様によるダンス発表や演技がメインで、昨年は1,500名以上の方が参加されました。力強く、そして何より「笑顔」で楽しそうにパフォーマンスされる皆さまを見て、現在施設に入居している祖母のことを思い出しました。

私の祖母は骨粗鬆症を患っており、出かけるのも一苦労でした。交友関係はどちらかというと狭く、病院で仲良くなったお友達を家に招くこともありましたが、基本的には家でテレビを見ることが多かったです。家族は昼間全員外出し、家に一人でいることが多かったため、きっと寂しかったのでしょう。ネガティブな発言がいつの頃からか目立つようになり、施設に入るまで続きました。

 今思えば、老人クラブという存在をもっと早く意識していれば祖母に勧めただろうなあと感じます。運動は難しくてもそれ以外の趣味のサークル活動など、コミュニティが広がれば、祖母の世界はまた違ったものになったのではないかとこの頃、よく考えるのです。

 だからこそ、私はニチコミでの仕事を通して一人でも多くの方に、祖母と同じような不安を抱えている方々にこそ読んでいただける会報誌作りを目指して頑張りたいと思います。ささやかな目標ですが、私が一から手掛けた会報誌を祖母に見せに行くことを目指して頑張りたいと思います。