‘コラム’ カテゴリーのアーカイブ

【ニチコミ コラム】商店街のおじいちゃん

2019 年 4 月 1 日 月曜日 投稿者:ニチコミ

こんにちは、masaです。

 

久しぶりのブログ、回ってくるたび何を書こうか思いを巡らすと、浮かんでくるのは営業でお話させていただいたパワーあふれるシニア経営者の方々のお姿です。

今回はある商店街で布団屋さんを営んでいる80を超えたおじいちゃんの話にしたいと思います。

 

そのおじいちゃん曰く、その商店街はかつて150もの商店で賑わっていたそうです。でも今は20の商店しかなく、賑わっているように見えてもほとんどがチェーン店だと教えてくださりびっくりいたしました。

 

そして衝撃的な話をそのあと聞きました。

「個人商店がつぶれていってそこで働いていたおじいちゃん、おばあちゃんは皆病気になって寝ているよ!」

心が痛みました…。

 

今、そのおじいちゃんは大学に行って勉強をしているそうで、私に昨年書いた論文を見せて下さりました。内容は高齢者の活用についてでした。

こっちにはもっとびっくりしてしまいました。

おじいちゃんと思っていたのですが、失礼でしたね!こんな風にいつも皆さんには驚かされてばかり、色々と学ばせていただいています。

 

最近、世間では働き方改革が話題になっていましたが、それはシニア世代にも今後波及していくそうです。企業は人材不足の中、働き手を様々な人に求めて、そしてその人その人に合った働き方を提供することによって人手不足を解決しようとしています。専門性の高い職業でもそうでなくてもシニア世代の経験は企業にとって貴重であって、体力に合わせた様々な雇用体系が今後は生まれていくと思います。

 

私も布団屋さんのおじいちゃんのように勉強して何か貢献できればと思う今日この頃です。

 

頑張るぞー!

【ニチコミコラム】恩返し

2019 年 3 月 25 日 月曜日 投稿者:ニチコミ

こんにちは~!!スギちゃんですよ!!

早いもので、このブログも3回目!

 

そして気づけば会社に入りもう3年が経ちました。

3年の月日が過ぎてとうとう私の地元である練馬区にこないだ初めて営業に入らせて頂きました。会社に入った頃は老人クラブの存在を全く知りませんでしたが、小さい頃から身近な所にいて、公園でゲートボールをしたり、登下校の旗振りをやっていたりと日々生活の中で老人クラブは僕らのまわりで活動をしていて、今こうして老人クラブに関わって仕事をしているのはなんか不思議でもあり、運命的なものも感じます。

 

そんな生まれ育ったこの練馬区は、達成までは大変な道のりでした。

時には、町内会の回覧板を親から借りたり、時にはお世話になった幼稚園等にご協力をして頂いたりと必死に頑張りました。頑張ってる最中、思い浮かぶのは老人会の会員だったおじいちゃんの事でした。小学生時代には一人っ子だった私の世話をしてくれました。学校から帰ったら一緒にゲームをしてくれたり、親が共働きだったため、夜ご飯を買ってきてくれたりと今思うと感謝することは多かったと思います。

 

そんなおじいちゃんがいた老人会の広報誌を無事発行できて本当に良かったです。久しぶりに他社を思いながらなにかを成し遂げる気持ちに触れられて最高でした。今回また助けてもらった親や同級生のお母さんには感謝として北海道でカニやいくらやエビを送りました。

 

このような事も忘れずにしていき、地元や育った環境には感謝をして、他社(老人会)の事をこれからも想いながら営業活動を日々に精進していきたいです。

 

それでは今週も頑張ろう!!

いくぞーーーいくぞーーーいくぞーーー!!!

【ニチコミコラム】経営理念から世間を鑑みる

2019 年 3 月 18 日 月曜日 投稿者:ニチコミ

こんにちは。ヨシです。

 

今回はニチコミの経営理念の基本概念について『大切な人がいつまでも活躍できる社会』について話していきたいと思います。

 

いつまでも活躍できる――今まで仕事を続けてきて、働く意欲や自分自身が生きていくための手段・理由等は人それぞれに必ず存在していると思います。

ただ一方でそれには付随しないと言ったら語弊があるかもしれませんが、身体的に障害を持った人はどうでしょうか。

私ごとですが、親族に発達障害の人がいます。その人は成人の年齢間近ではありますが、生まれた直後に成人の年が限度だろうとの話を聞いたことを覚えています。

障害をもった人と聞いて、就職について周りが考えてしまうこと。例えば自身が働く上で障害にならなかったことが多く存在してしまい大変になってくると思います。

少し前では障害者雇用水増し問題というニュースが流れました。一般人とは違うかもしれませんが、障害者という言葉でくくり、その言葉を軽く見て問題が起きてしまっていることは遺憾でした。

とりわけ障害のある失業者の数が少ないことは解っていますが、反面障害をもった人らが職に就けないことやカウントの方法においても杜撰なのが実態でした。今、毎月勤労調査の不正や介護に関する問題があがり、国がいい加減な政策を行ってきたのが浮き彫りになっていると一個人思います。

ただ、障害者の就職に関して問題点だけがニュースになるのではなく自身としては嬉しいニュースとして聞いてみたいものですし、障害者をもっている人たちが活躍させてくれる環境を企業側から増えていることは改善の方向へ向かっているのだと思います。      

 

【ニチコミコラム】92歳の母から学ぶ

2019 年 3 月 4 日 月曜日 投稿者:ニチコミ

お久しぶりです。タクヤです。

 

私事で恐縮ですが、今私は92歳になる母親と一緒に暮らしています。

 

元気で生活していると言いたいところですが、その母親は去年の冬に椅子から落ちて骨折してしまい要介護3になりました。

 

手術した病院にしばらくいて車椅子と共にリハビリ病院へと転院して今度はリハビリ生活が始まりました。

 

私はこのまま車椅子生活になるのではないかと半分諦めていました。退院後の生活は一体どうなるのだろうと不安が心をよぎりました。

と、ここまではちよっと暗くなるような話ですが、ここからがすごいところなのです。

 

リハビリをやるということが決まって開口一番、担当の若いお兄さんがイケメンだとのたまい、リハビリの時間が楽しみだとのこと。食べ物も好きなものをどんどんリクエスト。骨折前は細かった顔がふっくらとして体重も増えてしまったのです。

 

そして短期間で車椅子は不要になり、自力で病院内を歩けるようになるまで回復しました。

無事退院した今では付き添いこそ必要ですが、時々杖なしで手を振ってバランスをとりながら元気に外を歩いています。

 

母親のこの前向きな姿勢は悲観的だった私の考えを見事なまでに打ち砕き、そして考えさせられました。

 

大切な人がいつまでも元気で参画できる社会。私はその実現に向けて日々格闘していますが、母親のこの肯定的な気持ちこそがその実現の原動力になるのでないでしょうか。普段の仕事の中でこのことを基本として捉えていくこと。母親はそれを私に指し示してくれました。

 

最近何かと後ろ向きな話題が多い中、身近でそして大切な人が本当の意味で生き生きとしていることこそが何よりも変えがたいことであり、前向きな気持ちがあらゆる全ての問題を解決していくことになると思います。

【ニチコミコラム】エイジレスとは

2019 年 2 月 25 日 月曜日 投稿者:ニチコミ

こんにちは、shigeruです。

 

私の仕事は、全国の各都道府県や市町村ごとの「老人クラブ」の広報誌を作るために、各地域の事業所様を回り、広告を募る仕事です。

 

毎日、私がお話しをさせていただいているのは、会社を経営している「経営者(事業主)」の方が多いのですが、一日に10人の経営者の方とお話しするとして、年間で、延べ2500人の経営者の方とお話ししています。

 

その業種は、工務店・建設会社・製造業・お医者さん・飲食店などさまざまですが、経営者の方の年齢は、20代から90歳くらいまでと幅が広く、毎日いろいろな方とお会いできお話しできることで、とても元気をもらっていると感じていますし、幸いなことと思っています。

 

日本全国に企業の数は、380万社ほどあると言われていますが、私たち日本人の暮らしや命を支えていたり、日本経済を支えている屋台骨と言えるのが、この380万社の経営者の方々であり、いつも感じることは、皆さん「元気」で「かくしゃく」としていることです。

 

その中で、ここ数年とくに感じることが多いのが、「経営者の方は、高齢になっても、まったく年齢を感じさせないほどお元気だ」ということです。

80代で第一線で活動されている方も多く見ましたし、そこには男女のちがいもありません。

自分は老人会の広報誌のしごとをしていて、「老人」という言葉の意味はよく考えることがありますが、こういう方と接していると、「年齢は関係ないな」と感じるときがあります。

「するべき仕事をしていること」が、やはりエイジレス(年をとらないこと)にとってひとつの秘訣なのでしょうか。

 

 

自分も56歳になって、「何歳まで働けるか」と考えることがたまにありますが、最近は、それを考えてもあまり意味のないことだ、と思っています。

私が好きな映画の世界でも、教えられたことがあります。

肺がんのステージ4で、余命3ヶ月という宣告を受けた映画作家・大林宣彦監督は、宣告を受けた翌日からも、凄まじい気迫で、「花筐」という烈々たる作品を撮りあげ、多くの賞を勝ちとりました。

 

「撮影現場では、『死んでる暇がない』と思うぐらい元気が出る。僕は映画という免疫によって、生かされていると思っているんだよ」とお話しされているのを見て、「花筐」と最新作をとても観たくなりましたし、私が観た監督の戦争3部作のうちの2作、「この空の花」「野のなななのか」でかつて映画を観て味わったことの無い凄まじい感動を思い出しました。

 

また、映画監督の新藤兼人さんは、98歳で、「1枚のハガキ」を撮り、この作品もキネマ旬報ベストワンをはじめ数多くの賞を取りました。世界最高齢の作品であったとのことです。

 

 

この2つのことを思うと、「本当のエイジレスを生きる」ことは、何のために生きるのか、という、「生きる目的」の強さとその肉化にあるのではないか、と思っています。

 

自分の人生も、1日1日をただ積み重ねるだけではなく、このことから教えられた悔いのない生き方を、考え、実行する日々にしたいと思います。

【ニチコミコラム】地域コミュニティに貢献するために

2019 年 2 月 18 日 月曜日 投稿者:ニチコミ

こんにちは、おこめです。

皆さん、年末のとあるバラエティー番組に老人クラブの人たちが登場したのを知っていますか?
撮影にきたアイドルを地域ぐるみでだまそう、という企画で、老人クラブの人たちももちろん仕掛人として登場しました。
その映像を見たときは「え、老人クラブがテレビに?」ととにかくびっくり。このような形で「老人クラブ」の名前を目にするとは思ってもいませんでしたから。

私はこれまで活動報告の原稿を打ち、記事を読み、また、ブログを書いてきましたが、「テレビ出演」でいきいきと活動している会員さんは初めて見ました。
これも老人クラブの認知度があがってきたからなのかな、と思います。そういえば最近、取材先でテレビ局のカメラを見かけることが増えました。
老人クラブの存在を広く知らせること。これもこの高齢化の進む日本において、重要なクラブ活動なんだと思います。

そうやって老人クラブがどんどん活動の裾野を広げているのなら、ニチコミも負けていられません。
ニチコミは今、会報紙制作を主軸としています。それは上でも述べたような重要な広報活動、老人クラブの認知度の向上に一役買っていると自負しています。しかし、それだけで満足したらそこで会社や人の成長は終わってしまうでしょう。

「現状維持は退化」とよく聞きます。成長目指し、まずは、ニチコミの名前を日本中に広めたい。経営理念には「世界中の地域コミュニティに貢献」とありますが、まだまだ会報紙発行のお手伝いができていないエリアが多くあり、まずは47都道府県すべてでできればいいな、とひそかに思っています。なぜなら、ニチコミの一つの間接的な「貢献」につながると考えているからです。
会報紙制作で広報した老人クラブが活発になれば、地域のセーフティーネットが強くなり、セーフティーネットが強くなれば、高齢者本人やその周囲も安心でき余裕が生まれます。余裕があればこそ、地域事業やボランティアなどにも参加できるのではないでしょうか。そこからさらに、活躍の場の循環が生まれることも想像できます。

私が普段やっていることは、道行く人にお礼を言われるような仕事ではありません。ただ、それでめげることはないです。活躍する人たちを支えることが、社会への還元になると信じているからです。いつか日本中のあちこちに貢献できるよう、頑張ります。

【ニチコミコラム】考えるよりまず行動を

2019 年 2 月 12 日 火曜日 投稿者:ニチコミ

 お久しぶりです。Kenchanです。

 早いもので前回には冬季オリンピックの話題を出していたと思っていたら、もう東京オリンピック2020が目の前に来ていますね。

 年齢を重ねるにつれ月日が経つのはどんどん速くなっている様に感じる、今日この頃です。

 

 年齢を重ねるという意味であれば、自分より年齢が上な親はもっと日々の時間が速く感じるのかと思い、質問したことがあります。それに対する母の答えは「やることがないと時間が遅く感じる」というものでした。

 母は普段から「忙しい忙しい」とよく言いながらも休日を利用して勉強会に行ったり、資格を取ったり、務めていた職場を定年で辞めたと思ったら、数ヶ月後には別の場所で働き始めるといったように、働くのが好きな人です。本人に聞いても「働くのはあまり好きじゃない。ただ頼まれて断れないから」と言っていましたが。

 

 最近はそんな母も歳のせいもあってか体調が思わしくなく、何回か入院をしています。それであまり動かなくなるのかと思いきや、「毎日毎日ごろごろしていて、暇で暇で仕方がない」と言って、編み物をしたり散歩をしたりと精力的に何かを探して動いています。

 今度、叔母に声をかけて行ったことのない温泉地へ旅行に行くとか言っていて、本当に体調が悪いのかと疑問に思うぐらい元気な人です。そんな母ですので、私が企業理念の「誰もがいつまでも」を考える時、真っ先に思い浮かぶのがこの母です。

 特にスポーツが好きという訳でもなく、俳句とかのインドア系の趣味というものもない母ですが、その行動を見ていますと、活躍というのは何らかの与えられた行動をとる物ではなく、自ら考え動くものだということを教えられました。

 

 自分が活躍できる場をひとつに固定するのではなく、むしろやったことのない場所にも活躍できる場所がある。

 現在、ニチコミはシニアの総合商社を目指し活動しており、その結果、今までとは違う業務に取り組むことも多くなってくるでしょうが、その新しい業務で今までとは違った自分の活躍の場を見つける事ができる。そんな思いを持ち続ければ、何歳に年齢を重ねようといつまでも元気に活動できるのではないでしょうか。

 

 「考えるよりまず行動」

 それを心にもって生活をしていこうと改めて思ったKenchanでした。

【ニチコミコラム】地域を支える老人クラブ

2019 年 2 月 4 日 月曜日 投稿者:ニチコミ

こんにちは、HaTaHaTaです (°)#))<<
早いもので3回目のこのブログ。
さて、この写真はなんの写真でしょう。

 

この写真は私の地元の写真。

よく見ると看板になんとなーく見覚えのある文字。

調べるとやっぱり?老人クラブでした。

見られることを前提としてではなく、町がきれいになるために、

活動していると思うと頭が上がりません。

 

老人クラブってすごいんだぞーっと思ってもなかなか知らない人が多いと思うんです。

実際に活動しているのは私たちが会社にいるような時間だし。

でも、生活の端々でその活動を感じると私がしていることではないのに誇らしく感じたりします。

この活動を支えているのが私たちニチコミの仕事でもあります。

実際に老人クラブの方と打ち合わせをしたり、話したりすると、

支えてもらってるなと感じることの方が多いです。

この感謝の気持ちをどんどんお仕事でも返していかなきゃ、と思うHaTaHaTaでした。

【ニチコミコラム】小さな活躍と老人クラブ

2019 年 1 月 28 日 月曜日 投稿者:ニチコミ

こんにちは。ワッキーです(^^)/

久しぶりにブログを書きます。
このブログは、ニチコミ社員が経営理念とその基本概念について語るブログです。
今日は私自身の体験談のご紹介をします。

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5年前の話です。
私の祖父と祖母は当時、夫婦二人暮らしをしていました。世相のとおり、この様子は老々介護だと想像してしまいがちですが、そんな雰囲気はなく、いたって元気に生活していました。祖父がやや祖母の世話をする、ということはありましたが、ヘルパーさんが週に1~2回来てくれること以外は自立して生活していました。

二人は地元の老人クラブに入っていました。特に活動という活動は掃除以外にはしておらず、よく会長さんはいい人だとか、お隣さんも老人クラブに入っているだとか言っているので、私は少ない情報をつなぎ合わせて二人が会員であることを知っていました。

ちなみに祖父は元々鹿児島で漁師をやっていた人で、その後は小さな工務店を営んで生計を立て、日頃は武士は食わねど高楊枝と見栄を切るタイプ。たまに私が行くとコーヒーを片手に煙草をふかしながら、今の私の近況を根掘り葉掘り聞き、あえて家に杖を置いて買い物に出かけ、家にいるよう私を制止してスーパーで寿司を買ってきます。

また祖母は、祖父が飲むコーヒーの湯を沸かすことと、トイレに立つ以外には一日のほとんどを座椅子で過ごし、座ったままどこで聞いたのか、近所の奥さんの息子の就職先や、スーパーの寿司は夜の8時以降に半額になるのに、という話をのべつ幕なし話し続ける人でした。

ある日、平和な老後の夫婦生活は、いきなり終わりを告げました。祖母はいつものようにトイレに立つと、トイレのドアの目の前で転び、そのまま帰らぬ人となりました。享年79。死因は心不全で、それまで寝たきりで誰かの世話になったりはしませんでした。大げさになることを恐れずに言うと、それまで普通に話していた祖母は、私の中ではピンピンコロリでした。

郷里の地に生きず年を重ねている夫婦にはさして縁者は多くなく、通夜には私の母など故人の娘たち、あとは来ることのできた孫たちが駆け付け、納棺された祖母を囲みました。

御多分に洩れず葬儀は大変です。夜中でもお寺に電話をかけ、葬儀社が来て段取りをつけるまで誰かが対応し、さらにその対応というものがままなりません。特に祖母の場合は、病院や施設に入ったりするなど、遺族に言わせれば「準備」がありませんでしたので、娘たちは泣くばかりでまともに話もできず、残った孫だけが数人動いて、何かと段取りをしました。

日頃集まらない親族は血がつながっている他人で、コミュニケーションが悪く、このような状況でも価値観の違いで諍いを起こします。夜中にも関わらず言い合いをし、娘たちは嗚咽し、そんな喧騒のなか、安らかな顔をした祖母は近所の斎場で通夜を迎えました。

 

(さらに…)

【ニチコミコラム】おばちゃんとの約束

2019 年 1 月 21 日 月曜日 投稿者:ニチコミ

「おばちゃんただいま!帰ってきたばい!」

「あら~、しんちゃんね?」

年末年始4年ぶりに地元に帰って真っ先に向かった先は、幼少期に共働きで夜が遅かった両親に代わって、祖父母とともに私の世話をしてくれた近所のおばちゃんの家でした。

自転車で保育園の送り迎えをしてくれていた、大好きだったおじちゃんの仏壇に線香を上げた後、おばちゃんの思い出話に耳を傾けました。

おじちゃんが天国に逝ってからはや7年、おじちゃんのお葬式に来ていた、顔見知りだった近所のご高齢の方は皆亡くなったそうです。

御年88歳のおばちゃんは「誰かが側にいればいいんだけど最近一人になって、もういつ死んでもいいかなって思うようになったんよ」と言いました。私はおばちゃんのか細い声を聞き、何もできない自分の無力さを恨みながらも「おばちゃん!俺、社長になるからさ!だからまだまだ元気でおってよ!」と言いました。するとおばちゃんの表情が少し明るくなりました。

おばちゃんは笑いながら「しんちゃんが社長さんになるの?おばちゃん10年も20年も待てないよ?社長さんもいいけど、おばちゃんは死ぬまでにしんちゃんのお嫁さんが見たいかな」と言い、私は思いもしなかった返答に戸惑いましたが「分かった!じゃあ俺がとびきり可愛いお嫁さん連れて来るけん、それまでは元気でおらんとダメよ!」と、おばちゃんと約束をしました。

私は改めて「大切な人がいつまでも元気で参画できる社会に」という、経営理念の基本概念の一つを思い出し「ああ、この気持ちか」と再認識しました。

耳も遠くなり、会話もままならなくなってしまったおばちゃん。私が耳元にフルボリュームで喋って会話ができる程度です。身体もすっかり小さくなってしまいました。もちろん血は繋がっていません。だけど、私が今こうして大人になれたのはまぎれもなくおばちゃんのおかげです。おばちゃんとの繋がりがあったから、私は今ニチコミで働くことができています。

おばちゃん、100歳まではまだまだ先は長いよ。俺、おばちゃんのために頑張るから。

「大切な人がいつまでも元気で参画できる社会に」

入社してまだ間もない私ですが、この想いをずっと胸に抱いて、そのような社会の実現を目指し、これから先も誠心誠意努めて参ります。

以上、11月5日に入社したSモンでした。

これからよろしくお願い致します。