2020 年 2 月 25 日
投稿者:ニチコミ
はーい!どうも!すぎちゃんです!
お久しぶりでございます。
約1年ぶりくらいにブログを書かせて頂きます。
私たちニチコミの経営理念の基本概念には
『大切な人がいつまで元気で参画できる社会』という一節があります。
私もこの会社に入ってもう数年が経ち
日々考える事が多くなって、この言葉は
これからの社会に必要だなって事を感じるようになりました。
先日ラジオで高齢者の生きがいづくりの話をやってて、
高齢者の生きがいづくりにおいて、
1番高齢者が大切にしているのは家族との時間という事をラジオでやってました。
家族や孫と話す時間や喋る時間が何より元気になるという言葉を
インタビューに受けた人がおっしゃっていました。
この事を受けて、私もこのような時間をもっと大切にしないといけないし、
今からでもできる簡単に高齢者の生きがいづくりにつながることだと思い、
お正月に父親の実家に帰りお婆ちゃんと話す時間を増やすようにしました。
私自身、最近は親戚の集まりに数年くらい出ていなかったので、
このような時間が大切な家族達の生きがいづくりに繋がれば
私としても嬉しい気持ちになりますし、
またこんな機会があれば同じように家族との時間を大切にしていきたいと感じました。
そして老人クラブと関わる私達にとっても会報誌を通じて老人クラブの方々に
生きがいを与えられるような行動だったり、アイデアをもっと提供できるように
頑張りたいと感じました。
この生きがいを通じて日本の高齢者をもっと元気にして、社会との接点を長く持
てるよう日々の業務から意識して頑張りたいと思います。
さぁー今日も頑張るぞー!!!
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2020 年 2 月 17 日
投稿者:ニチコミ
こんにちは。Shigeruです。
私事ですが、先月父が他界しました。85歳でした。
父は進行性核上性麻痺というゆるやかな進行性の病を患っており、5年前からまず歩くことができなくなり、次にしゃべること、そして食べる飲むことができなくなり、数か月前から栄養は点滴で入れていました。
老人ホームでの父は意識はあり、私が話しかけると眼はこちらをみており、話はできませんがいつも眼で会話をしてくれました。
最後私はほぼ丸1日、ベッド横で付き添うことができ、父を看取りました。
安らかに、眠るように旅立たれたその丸1日、私はいろいろと、感じたことがありましたが、それを言葉にすることは一言では難しいです。
けれども、父は最後まで戦い、人生を立派に全うした姿を私に見せてくれ、私もそれに接するにつれ、また父の人生を振り返るにつれ、長男である私の中に、たしかに、今までなかった新しいもの・新しい意識が芽生えてきました。
自分に対して、家族に対して、そして仕事に対して、人に対して、全てに実直一筋だった父。
責任感は人一倍。そして愚痴をこぼすのを見たことがない大きな父。
父は亡くなること、旅立つことで私たち家族に、「こう生きなさい。頑張れ」という楔を打ってくれたように感じました。
私たち家族には、もう一人、私が20歳の時に18歳で病で亡くなった妹がいました。
この妹もその闘病の姿と人間性で、私たち家族と他の多くの人を感化してくれました。
この時も、私も家族も、楔を打ってくれた、と思ったものです。
妹を思い出したら、「そうだな。よし、がんばろう」という気持ちになれました。
私は、毎日の日常の自分との戦いに、時に負けそうになる時もありますが、そういう時に、こういった家族、そして他の先輩方・先人の姿・楔を思い出してみたい。
私たち家族は、これからさらに、父に教えてもらったように、一日一日を大切に悔いなく生きっていきたい。私もそのために頑張りたい、そう思います。
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2020 年 2 月 10 日
投稿者:ニチコミ
こんにちは、オールドパワーです。
JR北海道は2018年12月21日、札沼線の途中駅である北海道医療大学駅から終点の新十津川駅までの間、47.6kmを2020年5月7日付で廃止すると発表しました。
札沼線と呼ばれるのは、札幌駅と留萌本線の石狩沼田を結んでいたところから「札沼」と呼ばれており、現在は終点の新十津川駅まで行く列車は1日1往復で運行されているので、「始発が終列車」と呼ばれています。このような鉄道路線が実在している。「日本一の閑散路線」こと、JR北海道の浦臼〜新十津川駅間がそれです。
しかし、同じ札沼線でも札幌市内とその近郊を走る南側の区間では、日中毎時3本程度の運転本数があり、多くの人の通勤・通学に利用されています。
札沼線は南北で性格が大きく異なっている路線であり、「学園都市線」という愛称が付いている路線でもあります。北海道医療大学までは電化されていますが、その先は非電化で、ディーゼルカーが走ります。
このようにどのような地域でも活躍し続ける列車を見ますと、私たちも負けずに頑張らなくてはいけないとそう思いますし、また地域貢献につながる大切な活動であるという気持ちが深く沸き上がってきます。
なお、北海道の新十津川町は1889年(明治22年)の水害で多くの被害を受けた奈良県十津川駅村の住民が集団移住して開拓した町で、両自治体の仲は深く、今でも新十津川町は十津川村のことを「母村」と呼び、町章・村章も同じで、交流を続けています。
2020年5月10日までに北海道を訪れる機会があれば、ぜひぜひ札沼線の乗車体験をお勧めします。
そして私たちの企業理念でもある「誰もがいつまでも活躍できる社会」ということを別の視点から見て、考えを深めてみるのもいいかもしれません。
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2020 年 2 月 3 日
投稿者:ニチコミ
こんにちはmasaです。
今回はmasaの母について書きたいと思います。
母は今年で67歳、今は東京で一人暮らしをしています。
定年前は病院でホームヘルパーの仕事をしてましたが、
定年後の今も派遣として同じ仕事をしています。
家族はmasaと母の二人きりで
そんな母が少し心配で気がかりだったのですが、
今から2年前くらいのことですが、嬉しい出来事が、、、
それは、突然母の姉から連絡があったんです。
母には故郷の北海道に兄妹と育ての親がいるようでしたが、
連絡がなく、話題にも上がらなかったのでいないものだと
思っていました。
実際、母が小さい頃家庭の事情で離れ離れになり、
別々の親に育てられたそうです。
母は一度に家族がたくさん増えたようで
時々会うと、
「札幌に姉に会いに行ってきたよ!」
「宇都宮で姪っ子と一緒に餃子を食べてきたよ!」
と一つ一つ報告してくれます。
そんな話題も増え、話をする母はなんだか嬉しそうです。
人間関係煩わしさもあるようですが、
育児や仕事に専念していた時は見せなかった表情を
見せてくれています。
心配だった老後ですが、それも少なくなりました。
繋がりがあるだけで人生が豊かになるんですね!
母にはこのままいつまでも元気でいてもらいたい
ものです。
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2020 年 1 月 27 日
投稿者:ニチコミ
皆さま初めまして!編集課新入社員のKotaです!
入社して約3カ月が過ぎてもまだまだ不慣れな私ですが、社員の皆さんが温かく支えてくださり大変感謝しながら日々の業務に取り組んでおります。
私は今まで19年ほど漫画家を目指して活動しておりましたが、残念ながらその道では全く鳴かず飛ばずでした…。
そんな折、妻との間に子どもを授かることとなり心機一転!漫画の夢は諦めてニチコミに入社いたしました。
夢は諦めることとなりましたが、ニチコミは今まで私が培ってきた知識や技術を僅かでも活かせる場所だと思っております。そして、漫画家を目指していた時代から持っていた「他人に喜んでもらえるものを生み出したい!」という思いは今でも変わっておりません!会報誌に似顔絵掲載や4コマ漫画を掲載するといったような新しいコンテンツをどんどん提案し、オンリーワンの仕事ができるような社員を目指したいと思っています!
話は変わりますが入社してすぐ、私の祖母が亡くなりました。92歳で老衰と大往生でしたが、認知症を患っておりました。もしも私が老人クラブの存在をもう少し早く知っていれば祖母に勧めていたと思います。そして地域の多くの方々と交流を持ち日々を過ごしていれば認知症の進行も抑制でき、もっと長生きできたのではないかと思うと大変悔やまれます。
これからの私は、全国の老人クラブの皆様に、読者の皆様に、そしてゆくゆくは世界中の皆様に「夢と・希望と・明日を生きる活力」を与え、多くの人がいつまでも元気で暮らせる社会の実現を目指し、他者貢献の星を掲げて頑張っていく所存です!!末永くよろしくお願いいたします!
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2020 年 1 月 20 日
投稿者:ニチコミ
初めまして!新入社員のshibamaruです。
先輩方に温かく見守っていただきながら日々励んでおります。ニチコミに入社して3か月が経ち、老人クラブの皆さまともお会いする機会が増え、いきいきと活躍されている姿は非常に眩しく感じます。
昨年11月に「シニア健康フェスタ東京」というイベントの取材に行ってきました。老人クラブ会員の皆様によるダンス発表や演技がメインで、昨年は1,500名以上の方が参加されました。力強く、そして何より「笑顔」で楽しそうにパフォーマンスされる皆さまを見て、現在施設に入居している祖母のことを思い出しました。
私の祖母は骨粗鬆症を患っており、出かけるのも一苦労でした。交友関係はどちらかというと狭く、病院で仲良くなったお友達を家に招くこともありましたが、基本的には家でテレビを見ることが多かったです。家族は昼間全員外出し、家に一人でいることが多かったため、きっと寂しかったのでしょう。ネガティブな発言がいつの頃からか目立つようになり、施設に入るまで続きました。
今思えば、老人クラブという存在をもっと早く意識していれば祖母に勧めただろうなあと感じます。運動は難しくてもそれ以外の趣味のサークル活動など、コミュニティが広がれば、祖母の世界はまた違ったものになったのではないかとこの頃、よく考えるのです。
だからこそ、私はニチコミでの仕事を通して一人でも多くの方に、祖母と同じような不安を抱えている方々にこそ読んでいただける会報誌作りを目指して頑張りたいと思います。ささやかな目標ですが、私が一から手掛けた会報誌を祖母に見せに行くことを目指して頑張りたいと思います。
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2020 年 1 月 14 日
投稿者:ニチコミ
こんにちはBunyukichiです。
私の実家は岡山にあるのですが、高齢のため母は足が不自由になり、父も認知症の症状が見られるようになってきました。しかし私と弟は東京の方に出て来ていて、なかなか簡単に実家に帰ることもできません。
今後どうするか…、とこれまでも兄弟でいろいろ話し合っていたのですが、弟が親のために会社を退職し、岡山へ帰るということになりました。
ここで問題になるのが、岡山での就職先です。親の年金にぶら下がっているわけにもいきません。Uターンのために、弟は職探しに苦労したようです。
高齢化社会の到来によって、こうした同じ悩みを抱えているご家庭も多いのではないでしょうか。
全国的に多くの企業で人出不足と聞きます。人口流出に悩む都市は、こうした介護で戻って来る人たちを積極的に受け入れる政策があればいいのにな、と思うのですが、なかなか難しいのでしょうか。
弟はまだ30代半ば。働き盛りで早目に決断したことが功を奏してか、よい企業に入れたようです。こうして故郷に戻って来る人たちを受け入れるシステムが整備されて行けば、世の中がニチコミの理想とする「誰もがいつまでも活躍できる社会」に一歩近づくのになと思った次第です。
よくメディアで見聞きする悲しいニュースに、親の介護のために仕事を辞めて貧困に陥る…、という話があります。こういう人が増えてしまうと、せっかく人口が増えても地域にとってマイナスになってしまいます。また経済的な面だけでなく、職場というコミュニティから外れてしまい、本人が社会との接点すら失ってしまう危険もあるでしょう。
若いうちは気付きにくいですが、将来の人生設計に「自分」だけでなく「親」の今後に着いても、早くから考えておくべき時代になったのかもしれません。こうした考え方を支援する政策があれば、地域はもっと発展するのではないでしょうか?
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2020 年 1 月 6 日
投稿者:ニチコミ
あけましておめでとうございます。Kenchanです。
早いもので、このリレー式ブログを始めてのバトンも4回目になります。
4回目ともなると何を書けばいいのか悩みどころですが、せっかくなので先日電車の中で見た光景を話したいと思います。
部会の帰りの電車の中の事です。
車内は混雑し始めたところで、あるひとりの高齢者の方が乗車してきました。
彼は杖をついており、少し腰も曲がった状態で、いわゆるお年寄りという雰囲気でした。
それを見た親切な男性が、席を譲ろうとしたところ、彼は「私はまだ若いから、席は譲られたくない」と拒否しました。
それを見た私の最初の考えは「素直に譲ってもらえばいいのに」というものでした。杖をついている、腰も曲がっている、そのような状態で、無理に立たなくても……という自分本位の考えを相手に押し付けていたのです。
しかし、改めて考えてみるにそれは違うと。その考えは老人というテンプレートしか見ていなく、その人物という個人を見ていない誤った考えであると思い直しました。
私たちはどうしても心のどこかで相手をグループ化して、若いから、年寄りだから、男だから、女だから、と何々だからという枕詞を使えばそれで相手を分かった気になってしまいます。
ですが、この考えは相手を個人としては見ておらず、私たちの経営理念でもある「誰もが」という言葉から外れていってしまいます。
相手を自分としてとらえ、何を求めているのかという他者目線を持つことで、初めて「誰もが」活躍できる環境を考えはじめられるのではないでしょうか。
その考え、視線が今の自分には足りないことだということを、電車の中で教えられました。
最後になりますが、先の話からどのような流れになってそうなったのか、先の高齢者の方は席を譲ってもらっていました。
お疲れだったのか着席直後に、疲れを吐き出すかの様に大きく息を吐きました。
席を譲った方はそこまで考えていたのかは分かりませんが、相手の事を考えるというのは、相手の言葉を聞くということではなく、相手が何を望んでいるのかを考えて行動することだと思います。
「若いから座りたくない」という意見を尊重しながら、相手が疲れていると思ったら、座ってもらって楽になってもらえるように持っていく。
私たちも相手の事を思って、きちんと提案すべきところは提案していくことこそが、相手に対する誠意にもなるということを改めて感じ、見方や感じ方次第で、どこでも勉強というものはできるのだなと思ったKenchanでした。
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2019 年 12 月 23 日
投稿者:ニチコミ
こんにちは。
東京支社のワッキーです。
私たちが経営理念に寄せるこのコラム、
過去にさまざまな社員が書き込んでいるこのページをご覧いただいている方はご存じかもしれませんが、私たちが社会の中における企業として大切にしている考え方は、「誰もがいつまでも活躍できる社会を目指そう」というもので、そのために「まず私たちの会社がそうなっていこう」というものです。
私たちは将来、シニアの総合商社となるべく、今この「老人クラブ広報紙の制作」を行っていますが、この広報紙制作は、その礎となる大変重要な仕事です。私自身もおよそ10年にわたって制作業務に携わってきましたが、その間さまざまな会員の方と接し、スポンサーの方と接し、多くを学ばせていただきました。
このブログを書くにあたり過去を振り返るところではありますが、今思えば、仕事の中で常に共通していたのは「この広報紙が実際に読まれ、人と人とをつなぐ架け橋になり、それが世界有数の高齢社会となった日本において、地域社会を活性化する可能性になる」ということです。
広報紙を制作していると、さまざまな原稿に出会います。つい最近あったのは、ある会員さんが昔の旧友と同姓同名の投稿者を見つけ、同意を得た上で連絡をとってみると、なんと友人その人であった、という内容を投稿したものです。こんな珍しいことがあるのか、と思いたくなる出来事ですが、実際にあったそうです。またその他にも、広報紙に掲載されている短歌を見て刺激を受け、80を過ぎてからも自身も練習して新聞などに投稿していたところ、初めて掲載され、それが嬉しく、報告の意味も込めてこの広報紙にも投稿しました、という内容のものもありました。こういった投稿を見るたびに、私たちの広報紙がどこかで読まれ、読んだ人がさまざまな思いを持ち、その思いが行動になり、ささやかながら人生に豊かさを添えているという思いになり、大変嬉しい思いがします。
私たちが目指すのは、その人がいつまでも活躍し、豊かな人生、張りのある人生、生きがいある人生を送ることのできる社会づくりです。年間数百万部にもなる広報紙は、その1冊1冊が配られるところを私たちが見ることはありませんが、そこには確かに人から人の手に渡る広報紙の姿があり、その広報紙には、人々の思いが綴られ、それが生きがいにつながっています。
この事業を通じて大切なことは、私たちは一人ひとりの会員、1社1社のスポンサーのみなさんに感謝するとともに、これからの社会を見据えて、この広報紙を世に送り出していかなければならない、ということです。
いつまでも活躍する姿とは、その人がその人らしく、その地域でいつまでも幸せに暮らしている姿です。
今日も私たちは、私たちが作る広報紙にその思いをのせていきます。
ワッキーでした(^^)/
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2019 年 12 月 16 日
投稿者:ニチコミ
お久しぶりです!Sモンです!
つい先週の話になりますが、実の兄の子供が産まれて遂に私も叔父になりました(汗)
二人兄弟で歳も近く幼少期は兄の後ろにくっついてばかりだったので、大好きだった兄が結婚した時もそうですが甥っ子の顔を見て父親になった兄の顔を見て、本当に感慨深いものがあり、今まで赤ちゃんを見て心の底から可愛いと思ったことはありませんでしたが少しだけ赤ちゃんいいなぁと優しい気持ちになれました。
さて前置きはこれくらいにして甥っ子を見に久しぶりに家族が集結して一目散に思ったことは親父老けたなぁ(笑)です。
中々会う機会も無く久しぶりだったのもありますがそれでも等速的だった老が加速度的な老になっていることは目に見えてわかりました。
そんな父も今年で定年を迎えます。
再任用試験を受けるとのことだったのでまだまだ本人は働くつもりのようです。
祖父も民間の会社ではありましたが70歳まで働いており、祖母も定年後は児童養護施設を作りボランティアで放課後サービスを行なっています。父や祖父母の姿を見てこの労働推奨一族に生まれたからには私もまだまだまだこれから頑張らないといけないとしみじみ感じました。
終身現役社会、定年無き社会に。定年制が無い会社
まだこの会社に入社して1年ちょっとですがこれから何十年先まで、定年制という概念を取っ払い定年を突き抜ける勢いで私自身突っ走って参ります!
PS.この1年で横に成長しすぎたので、還暦を迎えてもなお趣味が筋トレの父と常に半裸で鏡と向き合っていた兄を見習って身体も引き締めていきます。
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