【ニチコミコラム】母の言葉
2024 年 2 月 19 日 月曜日 投稿者:ニチコミまだ早いですが、人生の終盤をどういう自分で迎えるか。何を人に与えられるか。
「スマートライフプロジェクト」とは、厚生労働省が提案しているプロジェクトで「健康寿命を伸ばそう」をスローガンに国民全体が人生の最後まで、元気に楽しみながら健康な毎日を送ることを目標とした国民運動です。
このプロジェクトに参加する企業、団体、自治体と協力連携しながら運動、食生活、禁煙、検診の受診について、具体的なアクションの呼びかけを行い、国民自らが誘い合い、健康の輪を広げていくことを目標として、更なる健康寿命の延伸を推進している。
厚生労働省はこのプロジェクトに参加登録を呼びかけ、2024年1月31日現在9804団体が参画しています。
又、厚生労働省では定期的に国民の寿命を調査して「平均寿命」と「健康寿命」の2つに分けて発表していますが、「人生100年時代」と言われる現代日本では、健康寿命をいかに延ばすかが大きな課題とされています。
このスマートライフプロジェクトは国民の健康づくりに多くのサポートを行っていますが、個人的には具体的にどのような対策や備えが必要なのでしょうか。
日常生活で我々は以下の事柄に十分な関心を持って生活することが大切です。
1、定期的な健康診断を受ける。
1、孤独にならず社会関係を保つ。
1、適切な食生活を送る。
1、活発な身体活動を行う。
1、十分な睡眠を取る。
1、節酒、禁煙に取り組む
など、いずれも毎日の生活で、ほんの少し改善するだけで実践できるものばかりです。我々は健康寿命を伸ばすために「生活習慣の改善」と「運動」「食事」の3つが重要なことを認識し、毎日を過ごすことです。
(文責、banquet)
こんにちは。バットマンです。
先日、20年来患ってきた眼の病気(緑内障)の手術を受けました。
3本5種類の点眼薬で治療中でした。が、目薬を増やせない状態であったため、右眼の手術をしました。緑内障の進行を止めるためのことでした。
手術の翌日は出血がありましたが、心配無しとのこと。右目を開けてみると、ボヤ~として何も判断できない状態でした。
手術前、視野が狭くなり右眼の中心部が少々ボケていましたが、何であるか判断はできました。でもそれは今思うに、見えた物その物ズバリの風景でしかなく、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。
しかし他で、耳で聞き、鼻でにおいを嗅ぎ、口で飲食物を味わうことができます。術後は、特に人と接する時には、話し方・声の大きさ・語尾の扱い等でその人がどんな人なのか(人間性)を想像することが少しできたと思う時がありました。でもそれがその人の全てではありませんが…
その人となりを知ること。それは心の目を開いて真剣(真摯)に向き合うことを意識して相対することで、少しでもできることではないかと思います。
相手に今日会えたことを感謝しつつ、この瞬間を大切に過ごしていくよう励んでいきます。
ハットマンより
こんにちは、マッキーです。
今回は私の故郷の話をしようと思います。
私の故郷は東京からずっと西に離れた、深い山奥にあります。もののけ姫の舞台になりそうな田舎の村で私は生まれ育ちました。
皆さんが考える田舎は、田んぼがあり、電車の本数が少なく、スーパーやコンビニも車で移動するようなイメージをすることと思います。私が生まれた場所はそんな生易しいものではありません。電車はもちろん、ショッピングセンターもレストランもウーバーイーツもありません。極めつけはコンビニまで車で2時間かかります。買い物に行く行為が娯楽です。
この村は田舎ではなく、ただの山です。高校生になり村を離れるまで街で生活をしたことがなかったため、マックで注文することすら緊張します。(今でも)
そんな環境でも、いや、そんな環境だからか地元の人たちはとても優しいです。奪えば足りないけれど、分け合えば余るほどの幸せがそこにはありました。私が上京するときも、平日の朝にもかかわらず、涙を流して空港でお見送りをしてくれました。
たくさんの人の複雑な気持ちを振り切って、故郷と正反対の地、大都会東京にやってきました。ここに自分が「ちゃんとやらないといけない理由」があります。遠く離れていても頑張っている友の姿が、空をつたって見えます。
待ってくれる人がいるから、遠くに行ける。
村には無かった改札をぎこちなく通って、今日も元気に「行ってきます!」
こんにちは、かっかです。
今月に入り、急な寒さが押し寄せてきましたね。
雪国出身の私ですが、年中冷え性で寒がりの私はすぐに体調を崩してしまいます。
新型コロナウイルスやインフルエンザに感染しないよう、温かい食べ物と睡眠を大切にしてくださいね。
さて、本日は過去を振り返って、今年頑張りたいことをコラムで書いてみたいと思います。
私事ですが、入社してもうすぐ2年が経ちます。
入社当時は、とにかく早く編集者として成長したい気持ちでいっぱいでした。しかし、そのための知識や経験がなく、どうしたら皆さんのようにかっこいい編集者になれるのだろう。また、各地区・地方の会報誌担当者として任されることも少なく、不安でいっぱいでした。
1年数カ月経った現在は、任される業務が格段に増えました。私一人で出来る業務、知識が身につき、自身に繋がりました。そして、入社当時から夢だった、出身地の会報誌の担当にもなりました。夢が叶い、非常に嬉しかった私は即、親や祖父母に報告したほどです…(笑)
あっという間の2年でしたが、当時から今を振りかえると様々な苦労とともに喜びが日々溢れていて、その過程が私の成長に繋がっていたのだと思います。
成長は目に見えませんが、出来ることが増えて結果が実を結んだ時、私は地道に努力を欠かさず出来たのだと思いました。
私一人だけの力ではありません。皆さんのお力添えいただいたおかげでもあります。
今後も感謝を忘れずに、日々前進!に頑張っていきたいと思うのでした。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
皆さま、こんにちは。たかみです。
令和6年能登半島地震において犠牲となられた方々の御冥福をお祈りするとともに、被災された皆さまに心よりお見舞いを申し上げます。
先日は関東でも雪が降りました。
松の内も過ぎ、寒さが一層厳しくなってまいりましたので、皆さまもお身体には十分お気を付けくださいませ。
年を明けてもう1月半ばですね。
月日が経つのは本っ当〜〜〜に早く感じる今日この頃です。
先週の月曜日、1月8日は成人の日でしたね。
私事ではありますが、なんと………娘がついに成人しました!!
いや、法改正で成人が18歳に引き下げられたので、もうとっくに成人していることにはなるのですが。
親心としては、やはり振袖を着て二十のつどいに参加して、ようやく成人かな?という気がしています。
江戸時代は15歳前後が元服とされていたとのこと。
20歳で成人とされたのは明治時代からだったそうですね。
140年ぶりの法改正で成人が18歳に引き下げられましたが、ただただ年齢が18歳になったからと言って、18歳が大人かと言えばそうではないのかな、と考えさせられます。
比較的、自由や権利は得ますが大人への入口に立った、というだけであり、そこから少しずつ精神的に成長していくものですよね。
まだまだ内面的な成熟度合が見合わないうちは正しい判断基準等が備わるよう、見守っていくことは身近な大人の義務だと思っています。
とはいえ年齢を重ねた自分自身もちゃんとした大人になれているのか?
甚だ疑問に思います(´・ω・`;)
先に出産、子育てというところから始まったこともあり社会の常識に疎いのです。
そんな自分自身を成長させてくれるのもやはり周りの環境かな、と思っています。
日々同僚や先輩社員、上司、取引先、老人クラブの皆さまと色々な方に接する事で、刺激を受け、学びを得る毎日です。
今年、下の子も18歳になります。
まだまだ下の子は頼りなく感じておりますが、法律上は成人となりますので子育ても取りあえず一段落ですかね。
子どもの将来もありますが、私自身もこれからの事を考えつつ、今年も業務に励んでいきたいと思います。
皆さま、本年もご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願いいたします。
またお会いしましょう(^o^)シ
こんにちはmasaです。
新年早々、大地震が石川県の能登を襲い、2024年は悲痛な幕開けとなりました。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに救助や支援を待つ方が無事である事を願います。
さて、今回のテーマは超高齢社会を迎えた日本の行く末についてです。
厚生労働省が公表している人口動態統計によると、令和4年一年間の出生数は77万759人で、前年の81万1622人より4万863人減少。一方、死亡数は156万9050人で、前年の143万9856人より12万9194人増加。自然増減数は、△798,291人で過去最大の減少。日本の人口は一年間で80万523人減ったそうです。
さらに、国立社会保障・人口問題研究所が最新の将来推計人口を発表し、50年後の2070年には総人口が約8700万人、100年後の2120年には5000万人を割るとのこと。
この数字を見て皆さんどう思われますでしょうか。素直に驚かれた方もいらっしゃるかもしれませんが、多くの方は人口減少を既成事実捉え、改めて何か思うことはないかもしれません。
人口減少により今後生じる経済的な問題としては次の2点が主に上げられるでしょう。
・生産性人口の減少による労働力不足
・消費量抑制
採用に携わっていた身としてはここ2、3年を境に人材確保に苦労するようになり、労働力不足をひしひしと感じています。どのような職場でも共通な問題があるでしょうから、みなさんも同様ではないでしょうか。
少子高齢化を阻止するために出生率を上げようと子育て支援を充実させようとしたりする動きは見られますが、生き方が多様化してきている現代では結婚や子供を設けることは絶対ではなくなっています。
そんな中、労働力の減少を抑える策としてmasaが思うのは…
高齢者の活用です。現在、定年を迎える年齢は70歳まで延長され、労働力不足を補うために政府も動いています。ニチコミは定年制を設けていませんが、世の中的にも賛同を得やすい状況かもしれません。ただ、高齢者は現役世代に比べ、知恵・経験はあれど体力や記憶力にどうしても衰えがありますので、今後は多様な働き方を認められる職場環境が必要不可欠でしょう。
ニチコミも時代の先を行っていたいものです。
皆さん、お久しぶりです。
いい子にしているのに、プレゼントを持ったサンタさんが来てくれなかった。
そんなクリスマスを過ごしたKenchanです。
ところで皆さん、サンタさんの服が赤い理由ってご存知ですか?
実は昔のサンタさんは赤以外にも、緑や青といった服を着ているお洒落さんだったそうです。
この「サンタさん=赤い服」といったイメージが定着したのは、某コーラメーカーの戦略という話があります。自社のイメージカラーに絡めて、クリスマスにはコーラというイメージを強化しようとしたという話ですね。
結構有名な話なので、知っている方も多いと思います。
これ以外にも、サンタさんのモデルとなった人物の聖ニコラウスさんの祭服が赤いからという話があります。
少し深く掘るといろいろと勉強になりそうですが、歴史の勉強は置いておき、ここで考えたいのが、某コーラメーカーが流れを作ったという話です。
実際はどうなのかは分かりませんが、そのような話が真実味を帯びて語られている時点で、「考えて」、「動いて」、「周囲に影響を与えた」ということは間違いないでしょう。
少し前、「私の心の名言」みたいなタイトルの作文を読んだときのことです。いくつか名言が書かれていましたが、そこの一つに、山本五十六元帥の「やってみせ 言って聞かせて させてみて 褒めてやらねば 人は動かじ」とありました。
私はニチコミでお世話になり、この前8年目に突入しています。
最近の自分の行動を振り返ってみて思うことは、「考えて」はやっているかもしれませんが、「動いて」はどうなのか。そして「周囲に影響」は与えられているのかということです。
山本元帥の言葉で言うと「やってみせ」「言って聞かせて」はやってはいるでしょう。ですが、その先の「させてみせ」「褒めて」ができていなかったと思います。
単純に考えて半分、50%しかできていませんでした。これで自分は動いたので、あとは相手が動く番だと思い、言ってしまえば相手に丸投げをしていたことが多かったです。
言い訳をすればいくらでも出てきます。
ただ、それは自分にできることをしていなかったことに対する免罪符にはなりません。
できていなかった今の自分を受け入れ、年末色々と振り返り、また来年からは過去の自分から決別した道を歩いていこうと考えています。
最後になりますが、今年は卯年でした。一般的には飛躍の年とも言われています。天高く飛び上がる年でした。
それを受けての来年は辰年。龍は空高く飛翔し、高い天を自らのステージとする年です。
また干支で言うなら甲辰。「春の日差しが、あまねく成長を助ける年」とも言われている年です。
今年成長し新しいステージにたった人も、
今年こそ飛翔し天に舞い上がる人も、2024年はいい年になれるよう精一杯頑張っていきましょう。
来年こそはサンタさんからプレゼントをもらえるいい子になるべく頑張る、Kenchanでした。
こんにちは。かじたです。
約1年ぶりの投稿です。1年前と同じく今も北海道の寒さと戦っております。
私は今年で社会人3年目となり4月には4年目に突入します。
その中でリーダーという立場になり、教育にも携わっています。
その教育について触れていきたいと思います。
今回は自分が教育するということではなく両親から受けた教育について書きたいと思います。
私の父親は正直かなり厳しい人でした。
例えばどんなことかと言うと、小中学生の時は門限があり1分でも過ぎれば鍵を閉められ2.3時間外に締め出される。
周りに迷惑をかけることがあれば長時間怒られ、内容によっては平手打ちもしばしば。
友達を家に呼んで騒いでいたら、全員呼び出されこっぴどく怒られる。
そのおかげで、それ以降友達が家に来ることは無くなりました(笑)
他にも箸の持ち方や食事のマナー、使ったものは元の場所に戻すことなど細かいところまでかなり言われてました。
当時はただただ腹が立って喧嘩をたくさんしました。ただ、社会人になって初めて父親の厳しい教育が良かったなと思うようになりました。
今になると常識や当たり前のことを小さい時から教えてくれていたんだなと痛感します。
社会人になるとこういったことは出来て当たり前という世界であり、出来なければ恥ずかしいことです。
こういった厳しい父親だったからこそメンタルも鍛えられ、社会人に必要なものを教えてもらってたのだと気付いた時には非常に有難いなと思いました。
今回は両親の教育について書きましたが、それ以外にも職場や部活でも様々教えていただいて今があります。
これからも常に周りに感謝を忘れることなく日々精進していきます。
お久しぶりです。バードです。
私め、なんと入社5年目を迎えております。そう、今年で4周年を迎えたのです。
そこで今回は、この4年間を簡単に振り返る機会にしたいと思います。
入社1年目、営業の畑に身をおき、業界も職種も全く違く、私にとっては大きなチャレンジでした。
しかし不安はなく、「自分ならやれる」という根拠のない自信がそこにはありました。
そのマインドどおり物事はある程度順調に進んでいきました。ただ2年目を迎えたころ壁にぶつかり、当時のイケイケマインドだけではモチベーションを維持できなくなりました。
ここで言う壁とは、「人生をどう生きるか」と言うことを考えていなかったために起こるモチベーションの低下から、目の前の仕事に身が入らないと言うものでした。
おそらく大抵の人がぶつかる壁なのだと思います。それを受けて、仕事をする意義であったり、社会を生きる自分の価値を高めることなど、こう言うことを考えるようになりました。
例えば
「現場で活躍するプレイヤー」と「チームを管理するマネージャー」
「動画の編集をする編集者」と「動画の編集者を含め全体の進行管理をするディレクター」
どちらも尊く重要な役割ですが、どちらの山に登るのかを選択し、登頂した先で何を手にしたいのか…
私めはいずれも、後者になりたいです。
そう思う理由は、昨今のAIをはじめとするテクノロジーの急速な発達で、まさに時代の転換期を迎えています。
その現代の社会を生き抜くためには、できるだけ「唯一無二の価値」を提供できる人材でなければならず、それを見出すことができなければ淘汰されてしまう可能性もあります。
社会は変わっていくのに自分は変わらない、時間はただただ進んでいくのに有効活用しない。こう言う生き方をやめて、自分自身も前身し続けていきたいと強く思います。
そう考えれば、入社2年目で起こったモチベーションの低下など起こるはずがありません。今思えば、私めも当時は若く、その考え方はあまりにも未熟だったなあと感じます(笑)
とは言え、今までそう考えてこなかったブランクがあるので、本当にまだまだです。
それを埋めるためには、努力をするしかありません。今日からも人の倍以上行動していくことを自分に誓います!!(?)